2017年2月19日日曜日

主人公はどっち!第二話





                   第一章 夢みる者たち


                                       1


「静粛に!」

 果てしない青空に浮かぶ雲。それが、私の頭上を越えていくのには相当な時間がかかる

でしょう。

 今の私には、そんなどうでもいいことが頭の中に勝手に入り込んできてしまうほど、体

の全てがどうでもよかったのです。

 …はぁ。

 正直に言って、彼らにはうんざりしていた。

 毎回毎回、疲労をひとりで抱え込んで  いや、疲労だけではない、学園内のありとあ

らゆる犯罪、悩みによる相談、予算やらなんやらと、理事長は全てを私ひとりに任せてい

るのだ。

 私は、疲れていた。

「キャハハ」

「お~い。お前、ちょっと持ってきてくれよ!」

「…………」

 ざわざわとやまない生徒達の無駄口を叩くには、私の叫び声だけでは物足りないのだ。

「静粛に! 皆さん静かにしてください!」

 幾度と生徒達を黙らせるために、私は高い壇上でマイクを使ってそう叫ぶが、……いつ

ものごとく誰も振り向きはしない。

 リベラル学園。『自由』を、本当の『自由』を求めて創立されたこの学園の名は、そう

いった。

 その『自由』が過度に生徒達を自由気ままな生活にさせるため、こうして私は毎回のよ

うに額に脂汗をかいているのだ。

 だがしかし、

「静粛にしなさい 」

 今日はいつものようにここで黙って生徒達の勝手にさせるわけにはいかないのです。

 野外集会を行うことを、私はあまり好んではいません。だがしかし、この学園には屋内

で生徒全員を収容できる場所がないため、こうして外で集会を行っているのです。

 高い壇上からは何百人もの生徒達の姿が、様々な形で眺めることができる。

 その中で一番多く見られるのが、話をしている生徒。それから煙草を吸っている生徒。

そしてその次に多いのが……

 …暴力なんですよねぇ。

 それが私の中では一番の悩みであり、恐怖でもあった。

 だが、そんな生徒達にいつも脅えている私ではあるが、今日の私は気迫のこもった表情

が続いてくれた。

「君たち、静かにしろと言ってるのが分からないのか 」

 ……私自信、驚いたくらいだ。

 自分で発したその声は、何百といる生徒達の大半をこちらに向かせた。

 いや、それよりも驚いたのが、自分が自分でこんなにも大きな声が出せるのかというこ

とであった。

 ともかく私はこちらを振り向いた生徒達の視線が冷たいものとして向けられていること

に気付き、握った右手を口元に当てて「ゴホンッ」と咳払いをした。

「皆さん、今日は重要な話があるのです。いつもはこの集会を聞いていない人も、今日だ

けは聞いてください」

 言葉の一部に情けない内容が含まれていたがともかく、珍しくこちらを向いている生徒

達の興味を失う前に、私は一旦生徒達全員を見渡して、もう一度咳払いをした。

「実は昨晩、《裏庭の神》のお告げがありました」

 私のその言葉に、生徒達全員の顔が一斉に私の方へと向けられる。それまでこちらに気

付いていなかった者も全て、だ。

 生徒達の興味が最高値に達しているのだと思う。私にはそうとしか思えない。彼らの表

情にはそういったものが感じられた。

 それもそのはず、《裏庭の神》といえば、その名のとおり我がリベラル学園の『神』に

値する存在なのだから。

 《裏庭の神》。『神』とは言っても、それは宗教などで崇められている神とは種が異な

る。いや、むしろ『神』とは言えないのかもしれない。どちらともとれる。

 この学園の裏庭には、ひとつの洞窟がある。それはいつからあったのかは分からない。

学園が創立された時からのものだと私は思うが、それはともかく、そんな裏庭の洞窟の中

に、学園の象徴とされている一本のローソクがあるのだ。

 そのローソクこそが、《裏庭の神》である。

 決して消えることのないと言われているローソク。そう、実際にいまだかつて消えたこ

とがないのだ。ローも溶けることなく永遠とその美しいまでの形を保っており、その頂に

うっすらと揺れる炎も消えることなく燃え続けている。

 奇妙でいて人の心を捕らえるローソク。学園の生徒達は、いつの間にかそれを《裏庭の

神》と名付け、こうして代を重ねてもなお崇めてきた。

 その《裏庭の神》のお告げというものも、実際に存在するのだから皆はさらに心引かれ

る。

 年に数回、《裏庭の神》であるローソクから、頭に直接として声が聞こえてくる。それ

はローソクのそばにいる者にしか聞こえないため、まめに洞窟へと足を運ぶ者を決めてい

るのだが、ともかくそのお告げが見事、この長きに渡ったリベラル学園の歴史を安定なも

のとして支えてきてくれたのだ。

 初めのうち、それを信じようとせずに「うさん臭いローソクだ」と言い、避けてきた生

徒もいたのだが、それはローソクの言葉の真実味のある、そして実際にそれによって難を

乗り越えられたことが重なってか、次第にそう言う生徒達もいなくなっていった。

 確かにローソクから声が直接にして頭に聞こえてくるのには、何かと不気味なものを感

じるが、それはそれで考えたところで答えが出るわけでもなく、そして何より学園を支え

てくれる言葉がいただけるのだ。我々にとって害となすものはない。

 ともかくそんな《裏庭の神》のお告げ。どんなに私の話に興味がなくても、その単語が

出てきたら生徒達は誰構わず振り向いてしまう驚異的な言葉であった。

 私は生徒達を上から見下ろし、そしてしばらくの沈黙を漂わせて、口を開いた。

「昨日のお告げの内容は、こうでした」

 生徒達のまじまじと見る目を眺めて、私は一旦強調付けるため言葉を切った。

 昨夜、《裏庭の神》から聞いたお告げをこうしてそのまま生徒達に伝えようとしている

私なのだが、本当のところは気が引けていた。

 それは昨夜、お告げを聞いた時から思っていたことだ。

 …嫌な予感がしますよ。

 嫌な予感がしているのだ。いや、おそらくそれは嫌な予感で終わるようなことでないだ

ろう。私がお告げを生徒達に知らせれば、それは絶対にして起こりうるものだと、私は確

信している。

 だが、《裏庭の神》のお告げだ。私はそれを聞いてしまった以上、生徒達に伝える義務

がある。

 今一度、私を見上げる生徒達を見据えて、私は大きく息を吸った。

 そして、今まで以上の声を張り上げて、私は言った。

「そのお告げによると、リベラル学園、長きに渡ったこの学園が、物語になったとのこと

です!」

「は~ 」

 生徒達の訝しげな声と表情が、私の言葉を否定するがごとく聞こえてきた。

 …それもそのはずですよね。

 私は一旦言った言葉をもう一度頭の中で確認して、嘆息した。

「なんだよそれ。バカか?」

「お~い、キーン。あんた馬鹿でしょ」

「どっか連れてってくれよ、そいつ」

 「興味を引き立てておいて何くだらないことを言ってるんだ」ワーワー叫び、そしてブ

ーイングを繰り返す生徒達の顔には、そんな表情が浮かべられていた。

 私はそんな彼らの冷たい言葉をしばらく黙って聞いた。

 生徒達全員の言い分も分からなくはない。私とて、「学園が物語になった」などと唐突

にわけの分からないことを言われた時には、同じ反応をしていただろう。

 だがしかし、《裏庭の神》は私にそう告げたのである。

 信じられない私は、昨夜それを聞いた時に《裏庭の神》に問い返しもした。

 …けど、本当らしいんですよねぇ。

 っと、考え込んで複雑な表情をしていた私の隣から、並んでいる生徒達全ての疑わしい

顔とは正反対に、真剣な面持ちで私を見つめている影から声があった。
                  まこと
「生徒会長、それは真なのでしょうか」

 …おお、信じてくれるのですな。

 私の言葉でいまだにワーワー騒いでいる生徒達は気にせず、私は彼の言葉に感嘆とも言

える喜びの言葉を声ではなく発した。

 私のそばにいたその男は、私の耳元に口を当てた。

「もう一度聞きますが、本当なのでしょうか」

「そうです。《裏庭の神》の言った言葉なのです。嘘はついていません」

「…………」

 彼はしばらく黙り込むと、呻き声を出した。

 リベラル学園の本校舎二階にある喫茶店でマスターをしているヒズテイト殿。

 生徒達のくつろぐ場所として有名な喫茶マスター、そして信頼ある人だ。

 幾度と生徒達の相談役や愚痴の聞き役としても有名な彼。そんな彼は、生徒達だけでは

なく、生徒会長の私も非常に好感のもてる中年男性である。

 そんなヒズテイト殿が真剣な面持ちを崩さないところからして、彼は私の言葉になんら

かの衝撃を受けたに違いない。

「……いや、みんなちょっと待ってくれ」

「ん?」

 私はわめき立つ様々な声の中から、ふいに聞こえた青年の声に耳を向けた。

 その青年の言葉を聞いてからしばらく、周りにいた生徒達が次第に言葉を失っていく。

 私はただただその生徒が何を言うのかが気になり、壇上でヒズテイト殿と共に黙って見

ていた。

 いつの間にか言葉のなくなった生徒達を統率するかのように、青年は周りを一旦見渡し

て、壇上にいる私の方を見た。

 それから他の生徒達にも私の方を向くよう促して、続けた。

「生徒会長。それって、《裏庭の神》の話なんですよね」

 私は「ようやく信じてくれたか」そう思って気分的に快楽に近いものを覚え、青年の問

いに答えた。

「そうですぞ。まさしく、私が《裏庭の神》から聞いたお告げですよ。ようやく信じてく

れましたか」

「バーカ! おめーの話なんか信じるか!」

「ほんとだよねー。生徒会長ったってただ名前だけのもんでしょー。信じらんないわ」

 …むむむ。

 私は青年の言葉を遮るように喚きはじめる生徒達の言葉を痛く身に染みて、黙り込んだ。

「みんな、いいから静かにしてくれ!」

 青年の怒気のまじったその言葉を聞くや否や、生徒達が再び押し黙る。

 そんな青年に感心してか、私は彼に興味を引かれた。

 …はて、誰だったかな。

 今まで彼が誰なのかということは気に掛けていなかったため、今になってようやく彼の

顔を知らないことに気付いた。

 生徒会長である私は、生徒のほとんどの顔を知っている。……というより、学生表に毎

日のごとく目を通さなければならないため、それを余儀なくさせられる。

 だがしかし、

「……誰だったかな」

 その青年の顔にはあまり見覚えがなかった。

 これだけの生徒達を言い聞かせることからして……

 …私よりすごいですな。

 多少悔しさもあったが、今はそんなことはどうでもいいのかもしれない。

 青年は私の方を再び見て、言った。

「《裏庭の神》が言ったというのは、本当なんですか?」

 私は青年の言葉に呆気にとられた。

「……あのですねぇ、生徒会長の私を馬鹿にしてるんですか。《裏庭の神》のお告げを悪

用、もしくはいたずらな気持ちで皆さんに報告するということが、どういうことかお分か

りになってるんですか。罰を受けるのは私なんですよ」

 私の言葉に、青年は喉元を唸らせた。それから満足そうな顔をすると、私から生徒達の

方へと振り返った。

「みんな、聞いただろ。生徒会長の話は本当のようだ」

 …おいおい、私を信じてなかったのですか。

 心底ブルーになった私ではあったが、この場で気落ちした顔をしてはいけないことを知

っているため、無表情を取り繕った。

「けどよ、そんな馬鹿な話があるのか? 何が物語だよ。アホか」

「なー」

 そんな私の話を信じた生徒達ではあったが、やはり話の無理なところに疑問が沸いて仕

方がないようだ。

 だが……

「いや、待ってくれ」

 さらに再び、だ。

 青年が、今度は私の方は気にせず、困惑している生徒達に向かって大声を張り上げた。

「学園が物語になった……。確かに馬鹿みたいな話だよ、みんな」

 そこで一旦言葉を切って、私特有の強調言葉を真似するがごとく使用する。

「けどさ、《裏庭の神》が言った言葉なんだぜ。信じられないって言ってられないんじゃ

ないのか?」

「……まあ、確かに」

「うん……。《裏庭の神》のお告げじゃあね。信じられなくもないか……」

 生徒達が渋々言葉を交わしていくのを見ながら、私も同様に頭を悩ませた。

 彼らが言うように、本当に馬鹿げた話だと私も思う。

 「学園が物語になった」……なんとも意味不明なお告げである。

 だったら我々学園の生徒達は何をすればいいのか、そしてそれによって学園になんらか

の影響があるのか、……疑問で一杯である。

 そもそも物語とはなんなのか、私には分からない。

 学園が物語になる。それは童話の中のような世界になってしまうという意味なのだろう

か。

 生徒会長であるためその辺のところをしっかりと生徒達に導かなければならないのだが、

さすがに今回の《裏庭の神》のお告げはわけが分からない。

 …困ったものですな。

 そんな私に、案の定、追い打ちを掛けるがごとく生徒達が大声を出してきた。

「おい、会長! 物語になったってんなら、俺らはどーすりゃいいんだ? べつに今まで

とは何も変わらなくてもいいのか?」

「ってゆーか、あたしたちの学園って、もう物語になってるの? あー、そんなぁ、もっ

と髪形キメてくればよかった」

「ってことは、僕たちは物語の登場人物になってるってこと?」

「おおー、なんてこったぁー」

「静粛に 」

 一際混乱の高まる生徒達に向けて、活を与えるがごとく私は大声を張り上げた。

「みなさん、とりあえずは静かに!」


                                       2


「はあぁ、もう嫌ですよ……」

「本当にお疲れさまです」

 暖かい陽光に身を任せ、生徒会長室の大きなソファーに座り、そして暖かいミルクを喉

元に凹凸を付けて流しながら、私は幾度と溜め息をついていた。

 私の愚痴に付き合ってくれて、そして建前上少なくともそれに共感していただき、さら

には《裏庭の神》のお告げの件について適確なアドバイスを下さる生徒副会長のダルさん

に、私は心底助けられていた。

「私は、もう生徒会長失格なのかもしれません……。自信をなくしてしまいましたよ」

「いいえ、そんなことはありませんわ。あなたの言葉が彼らの希望となることは、それは

すなわち《裏庭の神》があなたにお告げを伝えたためですから」

「……ダルさんの言葉だけが、私には救いですよ……」

「いえいえ、そんな」

 微笑を絶やさずに私の話に付き合ってくれるダルさんは、あらゆる面で優れていらっし

ゃる。

 生徒達への態度もそうだ。知性に溢れた青い双眸が私の目を釘付けにさせ、そのとおり

に学園内のあらゆる難を対処してくださる。

 外面上私が学園を動かしているように見えるが、実際のところは彼女がそのほとんどを

こなしてくれていた。

 そういった全ての面で劣勢に立っている私は、いつも後ろめたい気がしてならない。

 学園内での生徒会組織の力というものは限りなく学園そのものに影響を与える。生徒の

気に入らないところがあれば、即、退学でもなんでもできる。まあ、私は学園が安定でい

ればそれでいいため、あまりうるさく生徒達に手を上げたりしない。むろんそれは生徒達

だけではなく、学園の方針についても同じことが言える。

 そのためダルさんのような知的に優れた人ならば、この学園を全く違ったものにするこ

となど造作もないことなのだ。

 そんなこともあり、彼女は本当は私なんかよりも会長の座が相応しいと思うのだが-そ

して実際に理事長は私にそう告げてきている-、ダルさんは副会長の座がただ単に好きと

いう理由で、このままの上下関係でいるのだ。

 その気になればいつでも私と交替できるというのに……。

 普段から思っている疑問を胸に私が見ていると、

「ミルク、おかわりはいかがですか?」

 やはりいつもの笑顔を携えて、ダルさんは机の上に置いた私が飲み終えた空のカップを

手に取った。

 副会長でありながら私の秘書のような役をこなしているダルさんを見て、私は彼女と同

じように口元に笑みの形を作った。……ただし、ぎこちなかったが。

「ありがとう。いただきますね」

 私の返事とともに、ダルさんは部屋の外へと出ていった。

「ふぅ。ダルさんは優しい人ですな」

 心から思ったことを、私は無意識のうちに口にしていた。

 ところで朝の集会の後、私は生徒達の、疑問で一杯の顔を目に焼き付けて、しばらくの

間戸惑いを隠せなかった。

 その幾つかの理由の中には、まずは《裏庭の神》がある。

 昨夜聞いたお告げを生徒達に伝えたところまではいいでしょう。

 しかしその後、私たち学園の者はどうすればいいのか分かりません。

 いつものお告げならば、……例えば、いつのことか学園に危機が迫るという内容-これ

は学園に強盗団が押し寄せる予言-のお告げがあったのだが、その時は事前に対処できた。
 だが今回のそれは違う。

「……どうすればいいのでしょう」

 私は、何度もよぎる疑問に同じ言葉を繰り返した。

 学園が物語になる……いや、《裏庭の神》によると、すでにもうなっているという。

 だが、それがなんだと言うのだ。《裏庭の神》は何が言いたいのか。

 物語になるということは、一体どういうことなのだろうか。

 私には全く理解できなかった。

 しかしお告げを見過ごすわけにはいかない。今までの《裏庭の神》のお告げには必ず意

味があり、そしてそれを前もって意識にとどめておいたため難を乗り越えることができた。
「……だがしかし」

 《裏庭の神》はなんらかのお告げはくれるがそれの答えとなるものはくださらない。

 私は額に手を当ててソファーから立ち上がると、これもまた無意識に歩き回っていた。

「……私には、物語になるという意味が分かりませんよ。いや、もうなっているなどとは

さらに不可解です。物語とは、誰かに我々のことが見られている……ということなのでし

ょうか……」

 …ふむむ。

 頭が崩壊しそうな状態をなんとかギリギリのラインで正常に保ちつつ、私は窓の方へと

近寄った。

 ここ生徒会長室の窓からは、学園のグラウンドが見渡せる。

 グラウンドとしての敷地面積は、それはもう広大なものであろう。具体的な広さは知り

ませんが、何百人といる生徒全員が外へ出て動き回っても、それの四倍の人数分の余りは

出る。

 そのグラウンドで遊んでいる生徒達  主に小さな子供たち  を眺めて、私はさらに

目をグラウンドの隅の方へと向けていった。

「むっ?」

 人……。木の陰となって、グラウンドにいる一般の生徒達には気付かないであろうが、

ここからはその様子が十分に窺える。遥か遠くに見えるその光景だが、私の良い目にはは

っきりと映った。

 五人くらい固まって、ひとりが他の四人に何かを渡しているではないか。

 さすがにこの距離だと顔までは見えないが、渡している人が女性だということは分かっ

た。

 …何をしているんでしょうかね。

 何かマズイものじゃないといいのですが……。そう思う私だが、それはありえない。

 リベラル学園の一般的に知れ渡っている特徴のひとつとして、『自由』がある。それを

憧れとして学園にやってくる者も多々いるのだが、……その『自由』が過度すぎて犯罪が

頻繁に起きる。

 特に覚醒剤の受け渡しは、ほぼ年代関係なく行われている。

「……おそらく今やっているのもそうでしょうな」

 私は独白とともに戸惑いを心の中に浮かべた。そして気を紛らわすためにソファーへと

戻った。

 毎回あのような輩を捕らえているようでは身がもたないのだ。それゆえ私はいつものよ

うに黙認している。

 ……だが、だからといってこのままでいいはずがないことくらい私にだって分かってい

る。

 しかし、現状が現状であるために、……あまり関わっている余裕はないのである。

 それに、もっと困ったこともあるから……。

「……困ったものです」

 学園が物語になるということと、普段同様の犯罪の取り締まり。

 さらには学園の指揮  まあこれはほぼダルさんがこなしてくれるが  、他学園との
交流。

 そういった様々な問題を抱え、私は精神的にも肉体的にも疲れていた。

 だが一番の問題とも言える出来事は、……おそらくこれからやってくるだろう。

 私が集会をやってから一番恐れていることなのだ。集会の内容は  むろん学園が物語

になったという《裏庭の神》のお告げのことだが、それを聞いて黙っている生徒がいない

ことを私は知っている。

 たとえお告げが言葉そのままの意ではないにしても、それを聞いたからには動き出すも

のがいるのだと、私は確信している。

 それゆえ、実はさっきから私は体を小刻みに震わせていたのだ。

「……絶対に起きる」

 再び学園が騒がしくなることに恐怖を覚えながら、私はソファーに座ったまま手を組ん

で、その騒ぎの対処を考えていた。

 もちろん騒ぎが起きないことがベストなのでしょうが、……そんなふうに平穏で終わる

ような学園ではないことを、私は誰よりも知っている。

 …そう、絶対にやつらが……。

「そう、絶対にやつらが……」

 思ったことをそのまま言葉にした私は、帰りの遅いダルさんのことが多少気に掛かり、

ふいにソファーから立ち上がった。

 その時だった!

「うぐわぁー!」

「むっ  なんの声ですか?」

 突然の叫び声が、私の耳元に嫌な予感を漂わせて舞い込んできた。

 その声に、予感していた恐怖が実のものとならないよう祈りながら、さすがに絶叫して

いる生徒を黙って見過ごすわけにもいかず、私は勢いよく生徒会長室を出た。

「どうしました 」

 私は声を掛けながら周囲に気を配る。

 声の出所からしてそう遠くはない。だが、入り組んだ学園校舎内の中にいるだろう絶叫

した生徒ひとりを探すのは、困難を極めると言っても過言ではない。

「た、助けてくれ!」

 …まずいですね。

 助けを求め、声を出した生徒に、恐怖に顔を引きつらせた状態を思い浮かべてみる。声

のすさまじい悲哀の含んだところから、それは簡単に想像できてしまった。

 ともかく今の、助けを呼ぶ声はさきほどの絶叫とは別の声質からして、二人目の犠牲者

かと、第三者からの耳で思いながら私は走った。

 運動を好まない、そして苦手とする私でも、こういう状況では弱気になっているわけに

はいかない。

 生徒会長という身分と、そして生徒を思いやる心が少しでもある(と思っている)私は、
生徒を助けなくてはならない。そしてその身分を使えば、大抵の生徒はおとなしくなって

くれる。

 六階にある生徒会長室から、聞こえた悲鳴のある階へは遠いかもしれないが、私は感を

頼りに西階段へと向かった。

「無事だといいのですが……」

 声がこちらの方から聞こえた。そして、階下から聞こえたような気もしたのだ。

 五階への階段を急いで駆け降りると、階段の根本あたりで数人の生徒が立ち往生してい

る。降りてくる私の方には全く気付かず、全員が五階の廊下の突き当たりの方を見つめて

いた。

 どうやら悲鳴は五階からのもののようだ。

「どうしました 」

「あ、会長!」

 降りてきた私の問いかけに対応したのは、固まっている生徒達の中のひとり、小柄な女

子生徒だった。

「テルモ君が……」

「むっ!」

 私は彼女の、小声で震えている喉を何気なく遠目で見て、固まっている生徒達を押しの

けて前へと進み出た。

 やじうままがいの生徒達の渦の中には、数人の生徒が倒れている。正確に言えば二人だ。
両方が男子生徒。

 その二人ともがなんらかの傷を負っている。そして意識も二人ともがないようだ。

「こ、これは……」

 一瞬、嫌な予感がしつつも、私はとりあえず倒れた生徒達から視線を少しだけ上げてみ

た。

「これだけ言ってもわからねぇってか」

「ぶっ!」

 『ぶっ』というのは私が吹き出した言葉だ。

 突然の光景と脅迫じみた声に、私は口を震わさざるをえなかったのだ。

 …ま、まさか本当に嫌な予感が当たってしまうとは……。

 私はしばらく動けなかった。

 肩までの伸ばしたの長髪の青年。巨体とも言える長身、……だがすらりと伸びたスマー

トな体が妙に魅力的だ。青い双眸には、ギラリと光る、何か、恐ろしさを感じさせるもの

があった。

 陰険な目付きには、彼を良く知っている私でもいつも脅えさせられる。

「もう一回聞くぞ……」

「うぅ……」

 そう、まさにそれは嫌な予感のモト。

 倒れた生徒達から少し離れた場所で、小さな男子生徒のワイシャツの襟首を片手で握り、                    ・・

軽々と持ち上げているあの男がいたのだ!

 私は、集会の時から恐れていた予感が見事的中したことを悟り、一瞬、生徒会長という

立場を忘れてまで彼を見ることに没頭していた。

「主人公は、俺だよなぁ?」

「……は、はぐ……」

 男はさらなる笑みを浮かべて問いただすと、満足のいかない男子生徒の返事に顔を真っ

赤にして、男子生徒を投げ飛ばした。

 ゴンッ

 廊下の壁に強烈に頭を打ち、そこから血が流れはじめる。

「……ばーか。きちんと『ハイ』って言ってりゃよかったんだよ」

 彼のその言葉ではっと我に返り、私は倒れている男子生徒に駆け寄った。

「……むむ、これは下手をすると死んでるかも分かりませんな」

 頭部が著しく陥没しており、そこから流れ出てくる血液の量は言葉にできないほど。

「おっ、キーンじゃねーか。何やってんだよ、お前。べつに助けなくてもいーだろ、そん

なヤツ。返事をしなかったヤツに、当然の報いってやつよ」

 男子生徒を助けようとした私にようやく気付いたのか、彼は私に近寄ってきた。

「……アブリィ。君は一体何をしていたんですか」

 私は、上目づかいに彼を見上げた。

 抱き抱えた男子生徒を一旦床に横たえて、埃をパッパッとはらった私は、さらに彼のそ

ばへ寄って問うた。

「……まったくあなたという人は……。まさかとは思いましたが、本当にこんなことをや

らかすなんて……」

「おっ、やっぱ俺のこと分かってるヤツベスト5に入ってるだけあるな。ま、大目に見て

くれよ」

 彼は口元に奇妙なほどの笑みを浮かべて、こちらをギャーギャー騒ぎながら見ている生

徒達を一瞥して、大声を出した。

「おめーら見てんじゃねーよ!」

「うわわ。キレたぞ」

「ひーっ」

 様々な雄叫びを上げながら逃げていく生徒達を見て、私は次に、倒れている三人の生徒

を痛々しく見た。

 おびただしい血が廊下中に広がっている。

 それから不気味な笑みを絶やさない彼を見上げて、私は溜め息をついた。

「アブリィ。もしかしてだとは思うが、集会のことを聞いてこんなことを起こしたんじゃ

あるまいね」

「おっ、やっぱよく分かってんな。まー、そんなとこだよ」

「……はは」

 彼の言葉に、私は頭が痛くなるような気がした。

 そんな私を気にせず、彼は髪をかきあげて周囲を無意識に歩きだした。

 そして私に言い訳するように言い出す。

「けどよ、こいつらが悪ぃーんだぜ。きちんと答えねえから。聞いてたんだろ、俺がこい

つらに聞いてたとこ」

「ええ、最後のひとりは。ですが彼は首を絞められてたから答えられなかったように思え

るんですがね」

「へっ、おんなじだぜ」

 最後に投げ飛ばした男子生徒に唾を掛けて、彼は大きく伸びをした。

 それをしばらく何気なく見ながら、……私は嘆息した。

 アブリィ・バドウェイル。

 長身の青年の名は、そういった。

 リベラル学園の生徒で彼の名を知らない者はいない。いや、いなくもないかもしれない

が、私の知っている限りでは皆が知っている。……そして恐れている。

 気にいらないことがあれば自慢の暴力でなんでも解決しようとする、……まあ言わば皆

の敵、だ。

 だがその力が、本当に言いようがないほどにずば抜けているのだ。彼を押さえようなど

と、そんなことはまずできないし、そしてそうしようとも思う者もいないであろう。

 そして更に厄介なのが、彼の性格だ。常に注目されていないと気が済まないという、目

立ちたがるあの性格。それが学園の生徒達への暴力となってますます効力を増す。

 幼なじみの彼に、私は暴力を奮われたことはないのだが、それでもやはりボコボコにさ

れている生徒達の無残な姿を見ていると、……黙ってはいられない。

 そんな彼の今回の騒動とは、……やはり私の思っていたとおりのものであろうことは、

さっきの彼の男子生徒への質問から十分に窺えてしまう。……それがかえって私には不安

の種でしかない。

 的中した予感を元に、私は、胸ポケットから取り出した煙草を吸い始めるアブリィの横

に立ち、彼に問うた。

「さっき、主人公がどうとか言ってましたね、アブリィ。どういうことですか。また何か

企んでるんですか?」

「ははっ」

 私の問いに笑うと、アブリィは鼻から勢いよく煙を吹き出す。

「まったく相変わらずピリピリしてんだな、キーンは」

「余計なお世話です。話を逸らすつもりですか」

「いや、そーじゃねぇよ」

 学園の男子生徒の制服を、唯一無視して私服でいるアブリィの目には、何か期待と夢で

一杯のような、そんなものが感じられる。

 だが、そんなことは今は気にしていられない。

 アブリィは続けた。

「企んでるってわけじゃねーんだ。ただよ、集会でキーンも話しただろ。学園が物語にな

ったって。そんなら、主人公が必要だと思わねーか? そしてそれが俺だって、みんなに

知らしめる必要もあると、俺は思うんだよ」

「……はは。主人公……ですか」

「おう。ぜってー俺が相応しいと思うんだよ」

「……全くお気楽な人だ、君は」

 …全く何を考えているのやら。

 私は心底アブリィに呆れた。

 前々から、力だけが取り柄の常識はずれの馬鹿な男だとは思っていましたが、これほど

までにアホとは……。

 …主人公ですって?

 確かに《裏庭の神》は、学園が物語になったというお告げはしてきたが、だからと言っ

て学園の主人公になろうとは……。

 まったく呆れてものも言えません、とはこのことですよ。

「ったくあなたは。そんな馬鹿なことを考えて生徒達に暴力を奮ってたんですか。そんな

ことをしている暇があるのなら、たまには真面目に講義に出なさい」

「……おいおい、キーンなら分かってもらえると思ってたのによ。非難すんのか?」

「非難とか、そういう問題ではないでしょう。学園の主人公だとかなんかは置いておいて、
少なくとも私は罪のない生徒に暴力を奮ったあなたは許せませんよ」

「まあ、……確かにな」

 アブリィはしゅんとして私の話に相槌をついた。

 学園が物語になったとして、それの主人公とやらに彼がなることには、私はなんとも思

わない。勝手にしてくれて結構だとも思っている。

 だが、そのために生徒達に暴力を奮うことは許せません。

 ……しかし、そんなものになったとして、何がうれしいのか、私には全く理解できなか

った。

 それに主人公というのは、そもそも彼の言っているような身分ではないような気がする

のです。なるとか、ならないとか、そういう問題ではないのではないでしょうか。

 まあ、とにかく私の嫌な予感は当たっており、だが彼は私の話に理解を示してくれたか

ら、もう大丈夫でしょう。

「アブリィ。この人たちを保健室に運びますよ」

「……ま、キーンがそう言うならな。運んでやるよ」

「まったく……。他に怪我させた人はいないでしょうね」
                  ・・

「ああ、大丈夫だ。まだこいつらだけだからな」

「『まだ』じゃありません。最後です」

「……分かったよ」

 とりあえず私たちは倒れた生徒達を、私がひとり、アブリィが残りの二人を、という形

で一階にある保健室へと運ぶことにした。

 私は、抱えたひとりの男子生徒  アブリィが最後に投げた  の頭部を見て、ふと吐
き気が舞い上がってくるのを感じて、一瞬ふらついた。

 …これはもう死んでいるかも分かりませんね。

「アブリィ。今度からは少なくとも命に関わるような怪我はさせないでくださいよ」

「ま、その日の気分によると思うから今はなんとも言えねーな」

 後ろから階段を降りてくるアブリィの背中には二人の男子生徒。それを振り返って見て、
私は再び歩を進めた。

 二階への階段へと降りてきた時に、下から生徒がふたり上がってくるのが見えた。

「へへ、やったな」

「ああ。あれだけで、こんなにくれるとはな」

 …むむ?

 ふたりは私たちの様子  というよりは重傷を負った生徒達  には目もくれず、私た
ちの横を通り過ぎて昇っていく。

 私は彼らの両手に数枚の金貨が握られているのを目撃した。

 会話からして私はある程度の推測ができたが、あえてそのことを彼らに問うことは、今

はやめておくことにした。とりあえず負傷した生徒を保健室へ運ばなければならない。

 が、

「おい、おめーら何持ってんだよ」

 アブリィはそんなことはおかまいなしに、背に抱えている生徒をものともせず、昇って

いこうとする男子生徒ふたりの腕を掴んだ。

 アブリィは背中に生徒二人を乗せたまま、ふたりの男子生徒を凝視する。その瞳は、い

つもよくやる脅迫のものであった。

「げっ」

 ふたりの男子生徒は、アブリィに目を付けられたからだろう冷や汗を額に浮かべて、ア

ブリィの言葉に何も言えなくなっていった。

「どっからそんな金貨手に入れたんだおめーら。普通の金じゃねーだろ、それ。なんかに

手、付けやがったな」

「いや、そ、そんなことはないっす」

「うん、ほんとほんと」

 それを聞いたアブリィは背中から生徒二人を落とすと、ふたりの男子生徒の腕を掴んで

いた手を放して、ポキッポキッとならす。

「……死にてーみてーだな。今すぐに言わねーと、殺す」

「あ、は、はい! わ、分かりました。言いますからその手は下げて!」

「お、おい! いいのかよ!」

「……なんだ、もうひとりのヤツ。おめーは死にたいんだな?」

 口を割ろうとした片方の男子生徒を制止しようとした、もうひとりの男子生徒の首を掴

むと、アブリィはさらなる恐怖を漂わす声音で言った。

「首、折るぞ」

「うぐっつ。う、うそっすぅ……。言います……から。はな……ゲホッ」

 …まったく怖い人ですね。

 男子生徒の声を聞くと、アブリィは彼の首から手を放した。

 それを見て、もうひとりの男子生徒が口を開いた。

「ア、アブリィさん、絶対に言わないでくださいよ。キーンさんも」

「ああ。んなこた分かってる」

 …とかなんとか言って、絶対告げ口するくせに。

 とりあえず私は思ったことは口にしなかった。

 それから少しの間、もぞもぞと口をごもらせてその男子生徒は階下を見た。

「……よし、誰もいないな」

「いいから早く言え」

 下から誰も来ていないことに安心して、促してくるアブリィにようやく目を向ける。

「……実は、おれたち  」

 ゴンッ

 突然、男子生徒の声が途切れたと思ったら、次いで勢いの良い鉄板で頭を叩いたような

音。

「な、なんだ?」

 もうひとりの生徒がそう叫ぶが、もう遅かった。

 ガンッ

「うぎっ  」

 もうひとりの男子生徒も声を失って倒れる。

 …むむ?」

 一瞬の出来事だったためすぐには状況を把握することができなかったが、今になってよ

うやく倒れた彼らふたりを確認してみると、すぐそばにはフライパンが二個、落ちている。
 彼らはそのフライパンに頭を打ったのだろう後頭部からは少量の血液が流れている。

 …しかし、一体なぜ?

 疑問に思っている私に続くように、アブリィが怪訝な声を上げる。

「……フライパン?」

 アブリィはそう呟く。それから何かを思い出そうとしているのが顔に現れた。

 どこから飛んできたのか、……いや、突如として男子生徒ふたりに当たったところから

考えると、現れたと言うべきか。

 アブリィとふたりで、今いる階段から上を見上げてみる。三階の様子はあまりここから

では窺えない。

 それから下を見てみる。一階の様子は廊下に続く階段の一部だけがなんとか窺える。

「……どっから飛んできたんだ?」

「……ええ。確かにおかしいですね」

 アブリィの言葉に私が声を上げる。

 全く検討の付かない現象に言葉を幾らか失いながらも、私たちは様々な箇所を見ていっ

た。

 そしてそれから二階の廊下の方を向いたその時、

「……これだから口の軽い子は嫌いなのよね」

「 」

 唐突に声がした。

 声の聞こえる方を向いてみると、二階の廊下の遥か向こうに、ひとりの女性が立ってい

るではないか。

「ね、姉さん 」

 アブリィがそう叫んだのと同時に、私も一瞬拍子抜けしてしまった。

 彼女の名は、キャッシュ・バドウェイル。

 赤髪のロングヘアが、大人びた彼女の容姿を一際美しく際立たせる。さらに体のライン

に沿るように着用している学園女子生徒の制服が、腰のくびれを強調する。

 長身で美しい、まさに美女という言葉は彼女のためにあるものだと思わせるような魅惑

的な瞳が印象的だ。

「……その子たちが話そうとしてたコト、今からあたしが話してあげる」

 そう言って、彼女は呆然と立ち尽くす私とアブリィに近寄ってきた。

 アブリィの実の姉である彼女を、アブリィと同様に、リベラル学園の生徒で知らない者

はいないだろう。それだけこの姉弟はインパクトのある、そして学園にとって毛嫌われる

存在であった。

 彼女  キャッシュはロングの髪を美しく靡かせてアブリィの前まで歩いてくると、右
手で髪を思い切りかきあげた。

「ねえアブリィ。この学園が物語になったって、聞いたわね?」

「あ、ああ。聞いたよ、姉さん。けど、それが何か?」

 アブリィの問いに、キャッシュは今度は私の方を向いた。

「だったら、物語となったこの学園に必要なものは、なんだと思う?」

 …ま、まさか。

 私はキャッシュの言葉に後ずさりながらも聞き入った。

「言うまでもなく、主人公でしょ」

 …はは。

 呆れる私は気にせず、キャッシュは続けた。

「あの子たちにはちょっとだけお金あげて、あたしが学園の主人公だということを認めて

もらっただけ」

「な、なに? 姉さん、それは許せないよ」

 キャッシュに向かって鋭い眼光を向けて、アブリィは背中から落とした二人の怪我した

生徒を拾おうとした手を止めた。

「それは犯罪だよ、姉さん。主人公になるためだからって、そんなことをするなんて……。
いくら姉さんでも見逃すわけにはいかないよ」

「あらなに? アブリィなんか、生徒に暴力奮ってまで主人公になろうとしてたじゃない。
あたしは見てたんだからね。人のコト言えるのかしら」

「……そ、そうか。確かにそれは言えてる」

 …おいおい。

 納得したアブリィを見て、私は溜め息を何度もついていた。

 バドウェイル姉弟は、リベラル学園の中だけではなく相当に有名だ。他の学園との交流

の時に、一番の注目を浴びるのは彼らである。

 暴力で生徒にものを言わせるのが弟アブリィなら、お金でものを言わせるのは姉キャッ

シュである。

 一見、キャッシュの方が、生徒達に直接的に害がないため、いいようにも思えるが、実

のところを言うと、彼女の方がアブリィよりも相当なくせ者なのである。

 現に私はアブリィの力を恐怖しているが、それ以上にキャッシュを警戒しているのだ。

 それにはいろいろとわけがあるのだが……

 まあ、それは今はいいとしておこう。

 そんなキャッシュ。……やはり姉弟というだけあってか、弟アブリィと考えることが同

じだと、私はつくづく思わされた。

 …しかし、なんで物語と聞いただけでそこまで『主人公』に拘るのでしょうか。

 まったく私には分かりません。

「姉さん、俺、主人公になりたいんだよ」

「それは駄目。あたしが主人公なんだから。あなたはサブ」

 私がつい考え事に没頭している間も、ふたりは何やらくだらないことを話していたよう

だ。

 力の強いアブリィ。彼は他の生徒達は男女関係なく、気にいらないものがいると、すぐ

に暴力を奮って服従させるのが特徴だ。

 ……しかし、

「……姉さん。いくら姉さんでもこれだけは譲れないんだ。姉さん、諦めてよ」

「駄目。あなた、姉さんの言うことが聞けないの?」

「……そうじゃ、そうじゃないよ。けど……」

 姉のキャッシュに対してだけは、……本当に目の前で見ている私自身、信じられないく

らいなのだが、頭が上がらないのだ。いや、それだけではなく言葉遣いや性格までもが、

一変してしまうのだ。

 力からいってキャッシュがアブリィにかなうはずがなく、それにアブリィは、弱みを握

られるような男ではないのだ  いや、それ以前にアブリィには、そんな、弱みというも
のに捕らわれる繊細な神経はしていない。

 そして学園の生徒達に対する  いや、生徒だけではなく講師や教師に対する対応は荒

んだもので、いつ、ところ構わず自慢の暴力を奮う。

 そんな彼の対応。姉に対して、あまりにも違いすぎる。

 …いわゆる、姉弟愛とやらですかね……。

 たとえそれがあったとしても、キャッシュに対するアブリィの対応は、私は逆に不気味

なものさえ感じてしまっていた。

 そんな彼らの会話は続く。

「アブリィ。前から言ってたでしょ。あたしに、二度と巡り会えないような大きなチャン

スが訪れたら、あなたは絶対に邪魔をしないで、逆に手助けをするって」

「そ、それはそうだよ。けど、今回の話はそれとはちょっと違うよ。俺だって目立ちたい

んだから」

「あなたはあたしの『脇』でいいでしょ。それで十分じゃない」

「それじゃ俺は納得いかないよ」

 双方の、だんだんと意気込みの激しくなる会話を聞きながら、私は耳を痛くしながらも

とりあえずなんとかこの場を解決するために、なんらかの模索を考えた。

 その間にも、廊下の突き当たりまで眺めて、ところどころのクラスから顔を出している

生徒達を見て、私は言った。

「……ちょっと、キャッシュにアブリィ。少しは静かにしてください。講義をやっている

クラスもあるのですよ」

「なによ、キーン。あなた、あたしに指図するつもり?」

 っと、キャッシュは私の注意に瞬間的に私の方を向き、アブリィとの会話を即座にやめ

た。

 彼女の不気味な表情に後ずさり、私は一旦唾を飲むと、改めて言った。

「……いや、そういう意味じゃないんですよ、キャッシュ。ただ私は  」

「死にたい、と?」

「い、いや。そんなことは決してありませんよ! ただ私は、主人公のことでいい提案が

あります、と言いたくてね」

「え? どういうコト?」

「なんだよキーン、いいことってよ」

 とっさに言った私の言葉に、ふたりは反応して、私の首を同時につかむ。

「ちょ、ちょっと乱暴はよしてくださいよっ」

 なんとか逃れると、私は身につけているネクタイをきちっと直した。

「で、なんなの,それは? 早く言いなさい」

「言え、キーン!」

 真剣な眼差しで聞き返してくるふたりを見て、私はとりあえずさきほど瞬間的に考えた

ことをまとめていった。

 それからまだ痛む首筋を右手で摩る。

 …しかし、この人たちはまったく乱暴なんだから……。

 私は彼らに呆れながら、口にした。

「じゃあまず。主人公というと、どういうことを思い浮かべますか?」

「は? 何言ってんだよ」

「いいから、話してみてください」

 理解不能な顔をしているアブリィに、私は再び聞き返す。

 私の質問が唐突だったためか、アブリィはむろんのこと、キャッシュも不可解な表情を

する。

 それからしばらくした後、キャッシュが先に口を開いた。

「何を言いたいのかよく分からないけど……。あたしが思うのは、主人公っていうのは、

みんなから好かれている人のコトね。それから困っている人には手を差し伸べてあげるの。
みんなの人気者ってところかな。あたしに一番相応しいわ」

「姉さんが……?」

「なに? アブリィ。逆らう気?」

「い、いや、そんなことはないよ」

 アブリィの言葉にさらなる不気味さを携えるキャッシュを見て、私は少し複雑だった。

 …キャッシュが、『主人公』というものにそんな考えを抱いていたとは……。

 だがしかし、彼女の言う主人公と、実際の彼女とを比較してみると、……かなりのギャ

ップが生じるが。

 私がそんなふうに思っているところ、アブリィが笑みを浮かべて、そして思いにふける

ように天井を見上げた。

「けど、俺も姉さんと同じかな。まあ、付け加えて言うと、みんなから注目を浴びる、目

立ったヒーローってところだな」

「ふむむ、なるほど」

 アブリィの考えは、確かに彼の普段からの行動そのものを表しているのかもしれない。

 …むろん、『姉さんと同じ』考えの部分は、抜いての話だが。

「で、何が言いたいんだ?」

 アブリィのもっともな質問が返ってくる。

 私の考えというものは、それほどいいものとして捕らえられるものではないが、それで

も彼らふたりの姉弟をおとなしくさせるには、十分な考えであろうと思う。

 私は咳払いをしてふたりを見た。

「ふたりとも、主人公になりたいのでしょう?」

「おう! 姉さんには譲れない」

「アブリィに譲る気はないわ」

 同時に口にするふたり。私は頷いて、そしてもう一回咳払いをした。

「それならば問題は、あなたたちのどちらが主人公に相応しいのか、ということでしょう。
ふたりで主人公、というのは気に入らないのでしょうから」

「そうだな」

「うん。そんなところ」

 私は頷くふたりに続けた。

「そこで、『どちらが主人公に相応しいのか』というのは、あなたたちが決める問題では

ないのだと、私は思うんですよ」

 そう、主人公というのは、自己満足で自分がそうだと思い込むのならそれはそれで勝手

だが、それを他人に自慢していくようなこととなると、それは問題になってくる。

 それならば、主人公という身分に相応しい条件というのは、……やはり物語になったと

いう学園の生徒達が決めることなのではないかと、私は思うのである。

 ……まあ、そもそも主人公というものになろうというふたりの考え自体が、普通の生徒

ならば考えつくようなものではなく、そして馬鹿らしいものなのだが。

 だが、学園内でもっとも恐れられているこのバドウェイル姉弟が言い出したとするのな

ら、学園に何も起こらないという保障は全くないのである。それゆえ、生徒会長の私がた

だ黙って見ているわけにもいかないのだ。最低限の被害で押さえなければならない。現に、
すでに暴行を受けた生徒や、よからぬ取引に応じた生徒がいるのだ。

 そんな私の考えを悟ったように、キャッシュが「あっ」と閃いたように丸く口を開いた。
「キーンの言いたいこと、分かった! ようするに、あたしたちのどちらが主人公に相応

しいのか、学園の生徒に決めてもらうってことでしょ?」

「そう、まさにそういうことです。それに、そちらの方があなたたちとしても、生徒達に

認められたということにつながるのですから、都合がいいと思うんですよ」

「なるほど! よっし、じゃあさっそくそれでいこう!」

 っと、アブリィはそこまで言うといきなり足を動かして階段を降りていこうとした。

 が、私が彼の右手を掴む。

「ちょっと待ってください。アブリィ、あなた、まさかまた生徒に脅迫しに行こうとして

ませんか?」

「え?」

 違っていたのかもしれないが、少なくともまるっきり違ってはいなかったようで、アブ

リィは冷や汗をかいた。

「いや、俺はただ生徒どもに俺と姉さんのどちらが主人公に相応しいのか、聞いてくるだ

けだよ」

「あのですね、アブリィ。それじゃさっきやっていたこととあまり変わらないでしょう。

あなたに聞かれたところで、その場ではあなたが主人公だと言うのがオチです。それじゃ

何もなりません」

「そうよアブリィ。もうちょっと考えなさい」

「……そうだな。確かに同じだ。じゃあ、何かいい案があんのかよ、キーン」

「ええ。まあ、特にいいというわけではありませんが」

 私は廊下の窓に寄っていき、大きく息を吸った。

 この学園では、投書箱を設置している。むろん、生徒からの様々な意見を聞くためであ

る。

 そして週に一回、集会を開いて、その中にある意見から生徒会で取り上げられたものを

検討した結果を公表して、生徒達の意見を反映していくというものだ。

 私は窓から見える生徒達を何気なく一瞥して、後ろを振り返った。

「今度の集会で、あなたたちふたりのどちらかが主人公になるということを話したいと思

うんです。そしてふたりのうちのどちらが主人公に相応しいか、投書箱にひとり一票とし

て入れてもらうのは、どうでしょう?」

 今回のキャッシュとアブリィの考えに、これを使えないかと、私は思うのだ。

「な、なるほど! それはいい考えね」

「そーだな、キーン。それでいこう!」

「まあ、アブリィは一票も入らないで終わると思うけどね。なんせところ構わず暴力を奮

ってるんだから」

「へへ、姉さんだって人のこと言えないよ。裏で何をやってるのか分からないからね。み

んな遠ざかっていくと思うよ」

「なんですって、アブリィ! いつからそんなことを姉さんに言うようになったの!」

「姉さんが、俺を馬鹿にするようなことしか言わないから、俺だって言いたくなるのさ!」
 …まったく、困ったものですねぇ。

 ふたりして再び口論  と言えるものかどうか、私には分かりませんが  を始めたのを見

て、私は再び窓の方に目をやった。

 後ろからふたりの声がうるさく聞こえてくるが、とりあえずこれからはしばらく、アブ

リィも生徒に暴力を奮うのは少なくなるでしょう。キャッシュもお金で人を釣るのはやめ

てほしいところです。

 しかし、生徒達がふたりのどちらかに票を入れる前に、かれら、また脅迫して「俺に入

れろ」とか、「あたしに入れなさい」などと言う可能性も、やはりあるのです。

 しかし、まあ、たぶん大丈夫でしょう。なんとなく私にはそんな気がしていました。

 ……というのは、ふたりは本当に主人公になりたがっているようですから。生徒達の意

志で、自分に入れてほしいというところも、少なからずあると信じています。

 私はしばらく無意識に笑みを浮かべていた。

 っと、

「今の話、聞いたぜ!」

「聞いちゃった聞いちゃった!」

「 」

 唐突に聞こえた声に振り返ってみると、いまだ口論を続けるキャッシュとアブリィのそ

ばに、男子生徒と、女子生徒がひとりずつ立っていた。

 どちらとも、特別に普通の生徒達と変わることなく、だがバドウェイル姉弟と同じよう

なものが感じられる生徒だ。見たことがなかったわけでもないが、印象に残る生徒達では

ない。

 ふたりとも奇妙な笑みを携えて、口論している姉弟は気にせず、生徒会長である私の方

に近寄ってきた。

「な、なんですか?」

「オレたちも候補に入れてくれるか?」

「入れて入れてっ」

「は?」

 …な、何を言ってるんだ、この人たちは。

 私は、キャッシュやアブリィの言っていたことと同じことを考えているこのふたりに、

心底驚愕した。

 バドウェイル姉弟は、私にとって  いや、私だけではなく生徒達全員にとって特別な
存在である。だからこそ、主人公などと幻想じみた考えを押し付けようとしてもおかしく

はない。……そんな姉弟と同じ発想を持った生徒いるなどとは、どうしても信じられない

のだ……。

 ともかく私は、笑顔だが真剣なふたりのこの生徒を見て、溜め息をついた。

 男子生徒の方が言い寄る。

「駄目なのか?」

 それを聞いて、とりあえず考えた。

 …そ、そうですよ。何を私はさっきから戸惑っているのだ。

 バドウェイル姉弟のどちらかでも、主人公になったとするのなら、それから調子付いて

いくのは目に見えていることだ。

 それならば、目の前にいる、まだマシそうなふたりを主人公の候補に入れて、そしてバ

ドウェイル姉弟が主人公になる可能性というものを少しでも減らすことが、生徒会長であ

る私の使命なのではないだろうか。

 期待を胸に膨らませるふたりを見て、私は大きく頷いた。

「いいでしょう。今度の集会の時には、あなたたちも含めて、四人を紹介させてもらいま

す」

「よし、サンキューな。会長! オレの名前は、フールだ。覚えといてくれ」

「わぁいわぁい! わたしは、ウィーディナ。かわいいでしょ? きゃっ!」

 純粋に喜ぶふたりは、私の言葉を聞いたらすぐに階段を昇っていってしまった。

 …なんだか、この世の中には主人公というものに憧れている人が多いみたいですね。

 そう思いながら、私はさらに再び窓の方を向いた。

 刹那!

 ガシッ!

「 」

 右肩を強烈な力で掴まれた!

 その強大な力に体を震わせながらも、私はゆっくりと振り返ってみた。

「キーン? なに、勝手に主人公の候補増やしてんだ、おめえ?」

「あんた、死にたいのかな」

「……うぐ、けっしてそんなことは」

 心底恐怖に脅えて、迫りくるふたりの顔を左右交互に見つめる。

 …ま、まずい。

 アブリィの目からは、……本当に殺す時の気配が感じ取れる。さらに隣のキャッシュの

顔からは、……私の卑しい部分を第三者に告げ口しようとする意図が感じられる。

「う、うそです! 私はあんなやつらを候補に入れるなど、そんなことは断じて  」

「ははっ、嘘だよ、キーン。そっちの方が、むしろおもしろくなりそうじゃねーか」

「……え?」

 突然笑顔になってアブリィは私の肩から手を放す。

「そう。それに、人数が増えた方が、誰が主人公に相応しいのか、はっきりと出てくるじ

ゃない」

 次いで、キャッシュがニコッと微笑んで、私の頬に軽く口づけした。

 そしてふたりに姉弟は目を合わせて、「よし」と何かの暗号をふたりで解いたような感

じで、体を硬直させたままの私など気にせず、走っていってしまった。

「…………」

 なんとも寒い風が通り過ぎるような気がした。

 静まり返った廊下を端から端まで眺めて、私はしばらくの間動けずに、そしてしばらく

の間体がほてってしまい、何もできなかった。

 そんな中、ふいに思った。

 …これから、一体、どうなるんでしょうか……。

 何かが起きるような気がしてなりませんでした。……それは私の身も含めて。

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