2017年2月19日日曜日

サイリーンの王子

 今から遥か昔……。
 サイリーンという雪国と、ラヌウェットという砂漠の国がありました。
 サイリーン国には、今年で十歳になる王子がいました。しかし、その身分のせいで、彼には仲のよい友達ができません。
 いじめられることが多く、いつも寂しい思いをしてきた王子。何もできない自分を責め、誰かに必要とされたいという思い……。
 これは、そんな王子が活躍していくお話です。

「おい、駄目王子! なんでお前のようなださい奴がいつもそんな綺麗な服着てるんだよ」「そうだ、くず王子!」
 年齢が十歳も満たないような小柄の少年がいました。その少年に向かって、数人の、彼よりも幾らか年が高そうな少年たちが叫んだのです。
 中世サイリーン国。決して平和とはいえないけれど、治安の整った静かな雪国。
 そのサイリーン国のとある街の一角、数人の少年たちは、彼を囲んで蹴るなり殴るなりしていました。
「お前の母親がこの前ラヌウェットの女王に媚びたって聞いたぞ! そのせいでこれからの生活が苦しくなるのは見えてるんだ!」
「やめてよ…… 」
 少年は叫んで逃げようとしましたが、彼よりも遥かに大きな少年たちから逃れることはできず、彼は袋だたきにされていきました。
 痛みで、彼の頬を沢山の水の粒が流れていきます。
「痛いよぉ」
 少年はついに力つきて雪の地面に倒れ込んでしまいました。冷たい雪が、少年の体温を奪っていきます。
「うぅ」
「まだまだだ! お前の親にはいっぱい恨みがあるんだ!」
「そうだ、うちのパン屋がつぶれたのも、お前の母親のせいだぞ!」
 少年たちが口々に叫び、雪に埋もれたうつぶせの少年の背をじりじりとつぶしました。
(……なんで、なんでこんな目に合うの……?)
 少年は泣きながら心の中で強くそう思いました。
 少年が、遥かに小さな頃、五歳の時辺りから、彼の周りはいつも大きな大人でいっぱいでした。たまに一人で遊びに行こうとすると、彼の付き人が止めて入る。
 友達ができたことはありませんでした。せっかく仲の良かったと思っていた友達にも、両親のことがひどい噂となり、次第に彼の周りは誰もいなくなってしまいました。
「泣いてすむと思ったら大間違いだ!」
「そうだ!」
 彼を囲んで叫び蹴り続けている少年たち。街の人々でとがめる者がいないのも、彼がサイリーン国の王子だと知っているからでしょう。
 少年は  
(……どうせ僕なんか……誰も助けてくれないんだ。生まれてこなければよかったんだ……僕なんか……)
 幼いながらに人生に絶望を覚えてているかのようでした。
 とそこへ  
「ちょっと待ちなさい! 何やってるの、あんたたち!」
 街の遠くから、一人の女の子が走ってくるのが見えます。
「ん?」
 彼女は少年たちが自分の方を向いたのを確認して、一瞬のうちに周り込んで、雪に倒れた少年を抱くと少し離れたところに彼を寝かせました。
「こんな小さな子をいじめて、はずかしくないの 」
「それより、お前だれだよ」
 少年たちの中のひとり飛び抜けて大きな体の少年が、女の子に近づいていきました。
 女の子は少年をきっとにらむと、
「え、私を知らないの  ラヌウェット国の王女、ネイミア・ラヌアよ! なんでこんな小さな子をいじめたりするの 」
 女の子  ネイミアは倒れて意識を失っている少年を庇うようにして、少年たちにむかって戦いの構えをしました。
 肩の辺りでそろえて切られている髪はブロンド。年齢は十歳を幾らか越したあたりですが身長は少年たちと同じくらいの大きな女の子。
 少年たちはそんな彼女をじっと睨みながら、
「そいつがこの国の王子だからだよ! そいつの親のせいで俺たちは苦労してるんだ! みんなの恨みだ!」
「そうだそうだ」
「だからってなんでこの子のせいにするの  この子は関係ないじゃない!」
「知るかぁ! 俺たちの気はそんなんじゃすまないんだっ」
 口々叫びました。しかしそのしばらく後、ネイミアの言った言葉を思い出して、少年たちは表情を変えました。
「待てよ……?」
 彼女が、自分たちの住むサイリーン国と対立していると噂されるラヌウェット国の王女だと聞いたからです。
 大きな体の少年は、彼女に向かって言いました。
「ラヌウェットの王女! お前が憎いラヌウェットの王女か!」
「そうよ! だからなんなの! あんたたちは許さない!」
「ラヌウェットの王女! お前の方がもっと憎い!」
「そうだー!」
「私とやるっていうの! いいわ、きなさい!」
 ネイミアは襲いかかってくる少年たちと激しい喧嘩になってしまいました。
 大きな体格の少年が殴りかかってくるところに、
「うわっ」
 軽い足払いをかけて、次に襲いかかってくる少年の手をうまく逃れて、
「がっ」
 腹部に一撃加え、さらにその後ろから迫る少年の両腕をうまく取って、
「ぎゃん」
 背負い投げをしてさらにその次の少年の……
 といった感じで次々と少年たちを倒していき、
「このバカ力王女! 覚えてろ!」
「次にこんなことしたらただじゃおかないからね!」
 ネイミアは少年たち全てをその場から立ち去られせてしまいました。
「ふんっ。所詮、あんたたちなんて口だけよ」
 ネイミアはそれだけ言い残して、力尽きている小さな少年のもとへと歩み寄り、背にかかえて近くにある宿屋へと向かったのでした。
 宿屋の中へと入り、暖かい部屋に案内されて、少年をベッドに寝かせ看病をし、ネイミアはそのそばの椅子に座りました。
「まったく、あいつらもひどいわね」
 ラヌウェット国の王女ネイミア。ラヌウェット国とサイリーン国はともに交易がさかんで、親しい間柄でした。生活に困難なものがいなかったわけではないですが、それでもそこそこに民のことを考えた政策を行ってきました。
「ウェイザ王子、大丈夫ですか?」
 ネイミアはベッドの中で眠っている少年  ウェイザ王子に声をかけ、しばらく溜め息を続けました。
 仲のよい国同士、ラヌウェット国王女ネイミアは、サイリーン国ウェイザと面識がありました。
 ここ最近、仲のよいサイリーン国とラヌウェット国との間に溝ができたとかできないとか、といったような噂が多く立ち始め、サイリーン国にいる民の間には、サイリーンの女王がラヌウェットに奉仕しているだのなんだのと、よからぬ噂が立っていました。
「う、うーん」
 生活が厳しくなってくると、民の心の中には次第にその国の女王に不信感を持っていき、さらにそれが、女王の息子である、今、ここにいる少年に恨みが降りかかってくるのです。 ラヌウェット国でも同じく、ラヌウェット国の王女ネイミアは、よく町中で石を投げられたりもしました。
 しかし、
「王子、起きましたか?」
「……あれ?」
 ネイミアの問いかけに、少年は目を覚ましました。
 ウェイザは最初、何がなんだか理解できずに辺りを見渡しました。
 灯がなく、古い暖炉が小さな部屋の唯一の明かりとなっています。
 近くで見覚えのある女の子の姿を見つけました。
「あ、王女……なの?」
「そうよ。王子。体の方はどう?」
「え、う……うん」
 ネイミアの問いにウェイザはしばらく、今自分の置かれている状態を必死で考えました。 なぜ自分はこうして見覚えのないベッドで眠っていたのか。なぜラヌウェットの王女であるネイミアがそばにいるのか。
 そしてその答えが頭の中に浮き上がってきたときはじめて、ネイミアに言いました。
「あ、はい。少し痛いです。あの人たちは?」
 ウェイザの不安げな表情に、ネイミアは明るく笑って答えました。
「私がぶったおしてあげたわ。安心して?」
「は……はい!」
 ウェイザは大きな声で返事をして、腰を起こしました。
 昔からいじめられているとき、幾つか年上の姉のように慕ってきたネイミア王女は、いつも自分のことを庇ってくれました。
 ウェイザは男の子であるが故に、それに後ろめたさを感じたりもしましたが、ネイミアには素直になれました。
「王子、あんなやつらの言うことなんか気にしなくていいんだからね、王子は何も悪いことはしていません」
 ネイミアはそう言って、暖炉の方を向きました。横顔が暖炉の灯りに当てられて、ウェイザには少しせつなく見えました。
「王女……」
 いつも励ましてくれるネイミア。ウェイザは心の中でいつもありがたく思っていました。彼女がいなければ、彼は何もできず、心の支えが何もなかったのです。
 しかし、
「けど、王女。ぼくは、なんでいつもこうなんだろう。いつも町の人に暴力を受けてるんだ……。情けないよ」
「あら、今日は少し違うのね、王子」
 ネイミアはそう言って、ウェイザの方を向きました。
「いつもみたいに甘えていいのよ? 私がいるんだから」
 ウェイザはそれを聞いて、一瞬いつものように抱き着きにいきそうになりました。しかし、最近、ウェイザはそれではいけないのだということに、気づいたのです。
「……町のみんなは、ぼくが邪魔なんです」
「……?」
「噂か本当かは知りません。けど町の人から、ぼくの母様が王女の母様に媚びているといつも聞いて、そうなのかもしれないって、最近思ってました」
 いつも外に出て、自分の母親である女王のことを悪く言われることに、最初は頭にきたウェイザでしたが、最近、町の民が必ずそう言ってくることに、確かにそうなのかもしれないという思いが生じたのです。
 ウェイザはベッドから降りようとして、しかし胸がずきずきするので立ち止まりました。ネイミアが合わせるように椅子から立ち上がり、ウェイザの顔をじっと見つめました。
 ウェイザは、続けました。
「母様はいじめられるぼくを、なんとも思ってません。町の人はみんな、母様のことで僕をいじめる」
「…………」
「町の人にも、母様にも、ぼくは必要とされてないんだ……。王女にだって……」
「なにを、なにを言ってるの……?」
 すると、ネイミアはウェイザの言葉を遮って、右手を大きく後ろに振りかざしました。
 そして  
「ばっかじゃない 」
「   」
 ネイミアの大声と、ぱあんという激しい音が部屋中に鳴り響いて、その後、どんという床の響いた音が鳴って、ウェイザはベッドから落ちました。
「な……なにするの 」
 あまりにも唐突なことだったので、ウェイザには何がなんだか分かりませんでした。左頬を押さえて、眉間に鋭い皺を寄せる王女を見上げました。
 ネイミアは肩を鳴らせながら、息を荒立てていました。
「王子。……だったら、だったらなんなの! 自分で何かしようとは思わないの 」
「え  ?」
 ウェイザは、普段のネイミアでは言いそうもないことを初めて聞いて、耳を疑いました。いつも優しくしてくれた王女。
 しかし今は怒りの形相です。初めて見ました。
「自分から閉じこもってたら何もできない、誰にも必要とされないなんて当たり前じゃない!」
「王女……」
 ネイミアはそこまで言って、部屋の外へ出ようとドアの前まで行きました。
「だからいつも王子はいじめられるのよ……! 分かってるんじゃない」
 それだけ言い残して、ネイミアは部屋の外に出ました。
 ひとり取り残されたような感覚を覚え、じんわりと痛む頬を押さえながら、ウェイザは急に涙が出てきました。
「うぅ……王女!」
 涙を堪えながら……でも堪えきれずに大声を出し、ウェイザは色々なことを考えました。 いつも優しかった王女が初めて自分を嫌いになってしまった。裏切られた。
「……王女」
 けれどその原因は何なのでしょう。裏切りとは違うのではないでしょうか。今まで甘えてきた自分の存在とはなんなんのでしょう。
 今までいじめられて、陰口を叩かれてきました。しかし果たしてそれは他人のせいなのでしょうか。自分にも原因があるのではないでしょうか……。
 ウェイザはその日、宿の一室で一晩中考えていました。
「……僕は」
 そして、この日からいじめられていた王子が  。
 変貌するのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿