2017年3月11日土曜日

車が流されたこと。

3.11の大震災から6年。自分の被害はタイトルのとおり。

東日本大震災からそれだけの年月が経過。
早いもので。

今日はあれを振り返ってみる。




2011年の3月10日。

今でも覚えている。
それはなぜか。

昼休憩で携帯を見てみると。
北海道の母からメールが来ていた。

祖父が他界したという訃報。
その連絡メールだった。

そう。祖父が震災のすぐ前に亡くなったため。

これは行かなければ。
この時点では何も震災の予兆はなく。

3月10日、午後。
職場で祖父が他界したため明日から休んでいいか確認をとるとOKが出た。

3月10日、夜。
準備をする。

3月11日。朝。
休み。バスでいこうか話しあいながらも予定より遅くなりそうなため、急きょ、車でいくことにする(この選択が後に大きく左右した。間違いだった)

9:30
予定していた時刻より遅くなる。
仙台空港近くの民間駐車場に停める。

10:50頃だったろうか
予定より一本遅れて北海道に立つ

13:00頃
新千歳空港着。そこから札幌駅へ。

昼ご飯を食べてお土産を買って。

14:30頃
札幌駅のホームで15:05頃の電車を待つ。

そしてあの時間。

札幌駅のホームがやたらぐらぐらしだした。
それがやたらおさまらない。
おさまらないどころかずーっととまらない。
いったいなにが起きたんだろうとまわりのひとたちも驚いた。
一瞬、何かやばいことがおきたんじゃないかと思った。
携帯から情報を探るにもなかなか重くてつながらない。

つながると地震情報が出たころ電車に乗っていった。

19:00頃
現地に着いた。
迎えにきてくれた従兄が仙台空港が冠水したという情報をおしえてくれた。
お通夜では別室でテレビがついていて現地の映像が流れる。
冠水していた本当に。
このときはまだこれが本当のできごとなのか信じられなかった。
今思えば亡くなった祖父が、震災時に北海道に呼び寄せ救ってくれたのかとも思える出来事だった。かわりに車を失いつつも。

その後、公共交通機関もすぐに復活しなくて、
帰るに帰れず、ようやくとれた山形への飛行機も大雪でいったん引き返してその日はANAが用意してくれたホテルにとまって、翌日一日中空港でまったりとか色々ありつつ。山形からのバスとついた仙台駅の状態なども、それはそれで帰るまでに苦労した。

家についても部屋ぐっちゃぐちゃ。
ガスはLPガスだったため大丈夫だった。
ただ水道と電気が復旧していなかったから色々不便した。
車も結局流されたため新しい車をすぐ購入するための手配とか。
業者はそれどころじゃなかったりとか。
しかしながらまだまだ恵まれた状況だった。
知人でも家そのものを流された人、崩壊した人、亡くなった人・・・。

震災から6年たつけど、亡くなった人の遺族は震災は終わっていない。
ずっと終わらないんだと思う。
記憶に残るだけじゃなくて、
生活に大きくかかわってくるから。

祖父に感謝。

でも、もし自分もあとすこしでも便を遅らせて空港にいたら・・?
そうした一瞬の選択の違いで生死が分かれたんだろう。

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